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車窓

叔父の法事のため、九州へ向かう。
山陽新幹線、最近は『みずほ』か『さくら』がお気に入り。
横4列で座席がゆったり。シートもブラウンゴールドでちょっと高級感。手すりなどに木材が使われ落ち着いた雰囲気。加えて、新大阪発なので、比較的空いている。
フットレストは無いが、グリーン車に似た気分を味わえる。
窓からは基本 樹々や田畑のみどりみどり。穏やかな山並みの手前には池や川。のどかな日本の風景が楽しめる。
ずっと見ていても飽きない。私にはこの景色が癒しなのです。
しかしまだ7月アタマだというのにこの暑さ。
この田畑に、秋には健康な稲が 野菜が実るのだろうか。
日本の食料事情が心配なきょうこの頃です。

夏柑糖

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夏至が過ぎたところですが、梅雨は何処へ?という暑さ!

でもまとわりつく湿気が、やはり6月を思い出させる。。

そんな季節にぴったりのスイーツを頂きました。

京老舗の『夏柑糖』

ずっしりした大きな夏みかんに、甘さとほろ苦さをギュッと閉じ込めたゼリー。

今だけしか味わえない貴重なお味で、湿気も吹き飛びました。

紫陽花

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きょう小学生のお母様から、お庭で咲いた紫陽花をいただきました。

私は6月生まれで紫陽花が好きなのですが、お庭に植えても、翌年には葉っぱだけになり、なかなか花を咲かせられず…

嬉しくて玄関に飾りました。

ヴァイオリンケースとコラボしたような真紅の紫陽花は、雨に負けない情熱を感じますね。

お久しぶり

近畿も梅雨入りしたらしい、という報道と共に、大雨の朝を迎えました…

スマホやipadを新しくしてからブログ更新が出来なくなっておりましたが(単に私の機械音痴ゆえなんですが)  やっと復活させてもらいました。

きょうは、一日お休み。

雨音を聞きながら、手付かずの紙類の片付けです。

コピー楽譜から、書類から、つい手元に置きっぱなしのカタログ類まで。

うっかりすると紙で手を切るので、ビニ手が必需です。

合間に、先日岡山で買ってきた『バニラとマカダミアナッツ』のコーヒーをいただく。

このコーヒー 現地では、淹れてから南部鉄瓶で温めて出してくださった。コーヒー成分と鉄が反応して香りがたつのだそうで、甘い香りに心ほぐれたのでした。

南部鉄瓶 探し中です!

 

2022 発表会

Spring concert 終了

教室にとっていちばんのイベント。。今年で13回目

開催できなかった一年があるので、14年経ったことになる。

園児だった生徒が高校生。小学生だった生徒が大学生。

一旦お休みした子が何年ぶりかに出演してくれたり、受験を終えた子が聴きに来てくれたり……

みんな、いろんな経験をしつつ大人になっていくけれど、その傍らにヴァイオリンがいてくれることが、とても嬉しい

昨年はできなかった合奏……

リハーサルではハラハラした曲も、本番では結束力が生まれたのか、バッチリ!

ソロ曲もバッチリで、みんな本当に本番に強い!

ほど良い緊張感と共に、お互いに影響を与えあっていると思う。

また、昨年に引き続き、一人ずつのポートレート撮影もしていただいた。

出来上がりが楽しみです!

阪神・淡路大震災その後

合奏団の練習は3日間続いた。一日ごとにメンバーが戻ってきて、被災状況がわかってくる。窓ガラスがほぼ割れて、いつ泥棒に入られてもおかしくない、とか、本番衣装をとり出せない、とか、お風呂に入れない、とか……この寒い季節、お湯が出ないことがどれほど辛いか……

それでも練習に出てこられる、プロとしての気概を見せつけられました。

震災から4日後、迎えたコンサート本番。
指揮者の挨拶から始まりました。「開催するかどうか、とても悩みました。でも、こういうときこそ音楽は必要だと思いました。被災したメンバーにも後押しされました。」

犠牲になられた方々への黙祷のあと、プログラムには無かった、モーツァルトのレクイエムの一曲を演奏。その後、予定していた、モーツァルトの「フィガロの結婚」フィガロとスザンナとの結婚をめぐる喜劇です。

来場を断念されたお客様も多く、客席はいっぱいではなかった。でも、本当に温かい拍手をいただきました。

メンバーの中には、練習のあいだだけ、大阪市内の知人の家に滞在する人もいたし、楽屋の流し場で髪を洗う人もいた。でも、舞台では、疲れも見せず、完奏された。私は敬服するのみだった。

その翌日、電話があった。連絡がつかなかった西宮の友人からだった。家は全壊して、お母様と一緒に小学校に避難していたそう。

「よかった!」その後は、言葉にならなかった。

翌週、彼女の家の片付けを手伝いに行った。階段は半分壊れ、二階に上がるには、ヘルメットに手袋が必要だった。リヤカーを借りてきて、取り出せるものは取り出し、体育館に運ぶ。とにかく砂埃がひどかった。

その後、彼女はアパートを借り入居することができた、が、家財道具がまったく無く、うちで眠っていたこたつや毛布を運んだ。

彼女は淡々としていたが、思い出の品々がたくさん破壊され消えてしまったその悲しみは、今も残っていることと思う。

阪神・淡路大震災 翌日から

淡路島もかなりの被害だった。正確には、【阪神·淡路大震災】である。
翌日は、4日後に予定されていた合奏団のコンサートの、練習初日だった。もちろん中止ですよね?と確認したら、出てこられるメンバーだけでやる、という。午後、大阪梅田に阪急電車で向かう。
京都は被害が少なかったので、服装はいつも通りで出かけたら、大阪では、運動靴にリュックなど、避難できる格好で歩いている人が多く、ヒールに楽器を持っていると、『非常時なのに……』といった目で見られているような気がした。
その日の練習には、全員は集まれなかった。皆さんの安否確認。全員、命は無事だった。けれど、家の被害がひどく、出るのが難しい人も多かった。

別の楽団の主催者の家は、全壊に近く、オーケストラの楽譜がほぼ使えなくなった、と聞いた。

私にできることは何か?
ガスや電気が使えなくなっている阪神間の友人にカセットコンロ、電気だけ使える友人には電磁調理器を、近所の電気屋で最後の一台を購入し、送った。

郵便局には、そういう支援物資を送る人がたくさんいた。

いち早く大阪のホテルに避難した友人には、練習に行く前に、京都から持ってきた生活必需品を渡しに行った。いろんなものが、店頭から無くなっていた。

そんな中でも、3日間、合奏団の練習は続いた。

阪神大震災から27年

あの日、私は京都の実家の二階で寝ていた。明け方6時前、ひどい揺れで目が覚めた。「どすん!」枕元のターンテーブルに乗せたばかりの小型テレビが、床に突っ伏していた。

しばらく様子をうかがっていたが、あまりの静寂に心配になり、窓を開けてみた。向かいの家の屋根瓦が2.3枚落ちていた、だけだった。

階下に降りてみたら、グランドピアノの横の天井までの本棚から、本が何冊も落ちて、グランドピアノに傷をつけていた。

慌ててテレビをつけた。神戸のほうが震源らしい。神戸市長田区で、あちこちから火の手があがっている様子が映し出されていた。

大変な地震が起きたんだ、と、釘付けになった。でもそのときの情報は、まだまだ序の口だった。

夜が明けるにつれ、いろんな状況が見えてきた。

高速道路が割れ、落ちかけているバス、阪急神戸線と宝塚線沿線の駅や線路の破壊状況……

いや、たぶんそれは、何日か後に映像で見た記憶であって、実際はまだ何もわかっていなかったと思う。

とにかく私は、阪神間に住む友人に片っ端から電話をかけた。

その5年前まで宝塚に住んでいた私には、宝塚、西宮、尼崎、芦屋、神戸などにたくさんの友人が居た。

携帯電話はまだそんなに普及しておらず、各家にかけた。電話が繋がった友人は、一応に呆然とした様子だったが、無事が確認できた。

ただ一人、阪急西宮北口の近くに住む友人だけ、電話が繋がらなかった。。

その日は、舞台の観劇予定が昼と夜に入っていたが、すべてキャンセル。 ただただテレビを見ているだけだった。

(明日に続く)

成人の日

きょうは成人の日!街には、振り袖姿の女性がたくさん……

昨日と一昨日は、着物を着るために伸ばしている前髪を切れない、とか、ネイルするために爪を切れない、とか言いながらレッスンに来られた新成人の生徒たちと、ワクワク感を共有させてもらいました。

思い返せば、ウン十年前、私自身の成人の日は、舞台の上でした。その当時所属していた、神戸フィルハーモニー管弦楽団が、神戸市の新成人の集いで演奏する側だったから。

司会の方に「楽団の中にも、成人式を迎える方々がおられます!」と紹介され、抱負を述べた記憶があります。

母の選んでくれた振り袖を着て、ホテルの写真室で前撮りをしました。お見合い写真だねと言われながら……
その大切な振り袖は、その後、何回か友人の結婚式に着て行きました。
そして数年前には友人の娘さんに譲り、成人式、結婚式で大切に着てくれています…友人が送ってくれた娘さんの写真です。

今も、母が着付けてくれた日のことを思い出します。

 

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