夏休みも終盤。。
生徒の皆さんも、真っ黒に日焼けしながら、ヴァイオリンをスキルアップさせています。
7月末には、京都子どものヴァイオリンコンクールに3人が挑戦。
37回目を迎えるコンクールでは、審査員の先生方による温かい講評を頂けるので、とても勉強になります。今年は小2のS君が金賞、小4のM君、年長のM君が銅賞をいただきました。3人とも落ち着いて弾いていて、ニコニコ楽しかったと宣う。余裕ですね。それだけ弾きこんでいるということですね。
そして今日は東大阪で、ジュニアソリストコンサート。こちらは、動画審査を通った子たちが、弦楽オーケストラと共に弾かせていただける、昨年始まった企画です。昨年はザイツを弾いた小6のSちゃん。今年はヴィヴァルディで審査を通り、堂々のソリストでした。昨年より身長も伸び、ロングドレスが似合っていました。オーケストラのトップは、あちこちでご活躍の堀江さん。私もお世話になっております。
ブログ
夏休み近し
車窓
夏柑糖
紫陽花
お久しぶり
近畿も梅雨入りしたらしい、という報道と共に、大雨の朝を迎えました…
スマホやipadを新しくしてからブログ更新が出来なくなっておりましたが(単に私の機械音痴ゆえなんですが) やっと復活させてもらいました。
きょうは、一日お休み。
雨音を聞きながら、手付かずの紙類の片付けです。
コピー楽譜から、書類から、つい手元に置きっぱなしのカタログ類まで。
うっかりすると紙で手を切るので、ビニ手が必需です。
合間に、先日岡山で買ってきた『バニラとマカダミアナッツ』のコーヒーをいただく。
このコーヒー 現地では、淹れてから南部鉄瓶で温めて出してくださった。コーヒー成分と鉄が反応して香りがたつのだそうで、甘い香りに心ほぐれたのでした。
南部鉄瓶 探し中です!
Ameba塾探しにて当教室が紹介されました。
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2022 発表会
Spring concert 終了
教室にとっていちばんのイベント。。今年で13回目
開催できなかった一年があるので、14年経ったことになる。
園児だった生徒が高校生。小学生だった生徒が大学生。
一旦お休みした子が何年ぶりかに出演してくれたり、受験を終えた子が聴きに来てくれたり……
みんな、いろんな経験をしつつ大人になっていくけれど、その傍らにヴァイオリンがいてくれることが、とても嬉しい
昨年はできなかった合奏……
リハーサルではハラハラした曲も、本番では結束力が生まれたのか、バッチリ!
ソロ曲もバッチリで、みんな本当に本番に強い!
ほど良い緊張感と共に、お互いに影響を与えあっていると思う。
また、昨年に引き続き、一人ずつのポートレート撮影もしていただいた。
出来上がりが楽しみです!
阪神・淡路大震災その後
合奏団の練習は3日間続いた。一日ごとにメンバーが戻ってきて、被災状況がわかってくる。窓ガラスがほぼ割れて、いつ泥棒に入られてもおかしくない、とか、本番衣装をとり出せない、とか、お風呂に入れない、とか……この寒い季節、お湯が出ないことがどれほど辛いか……
それでも練習に出てこられる、プロとしての気概を見せつけられました。
震災から4日後、迎えたコンサート本番。
指揮者の挨拶から始まりました。「開催するかどうか、とても悩みました。でも、こういうときこそ音楽は必要だと思いました。被災したメンバーにも後押しされました。」
犠牲になられた方々への黙祷のあと、プログラムには無かった、モーツァルトのレクイエムの一曲を演奏。その後、予定していた、モーツァルトの「フィガロの結婚」フィガロとスザンナとの結婚をめぐる喜劇です。
来場を断念されたお客様も多く、客席はいっぱいではなかった。でも、本当に温かい拍手をいただきました。
メンバーの中には、練習のあいだだけ、大阪市内の知人の家に滞在する人もいたし、楽屋の流し場で髪を洗う人もいた。でも、舞台では、疲れも見せず、完奏された。私は敬服するのみだった。
その翌日、電話があった。連絡がつかなかった西宮の友人からだった。家は全壊して、お母様と一緒に小学校に避難していたそう。
「よかった!」その後は、言葉にならなかった。
翌週、彼女の家の片付けを手伝いに行った。階段は半分壊れ、二階に上がるには、ヘルメットに手袋が必要だった。リヤカーを借りてきて、取り出せるものは取り出し、体育館に運ぶ。とにかく砂埃がひどかった。
その後、彼女はアパートを借り入居することができた、が、家財道具がまったく無く、うちで眠っていたこたつや毛布を運んだ。
彼女は淡々としていたが、思い出の品々がたくさん破壊され消えてしまったその悲しみは、今も残っていることと思う。
阪神・淡路大震災 翌日から
淡路島もかなりの被害だった。正確には、【阪神·淡路大震災】である。
翌日は、4日後に予定されていた合奏団のコンサートの、練習初日だった。もちろん中止ですよね?と確認したら、出てこられるメンバーだけでやる、という。午後、大阪梅田に阪急電車で向かう。
京都は被害が少なかったので、服装はいつも通りで出かけたら、大阪では、運動靴にリュックなど、避難できる格好で歩いている人が多く、ヒールに楽器を持っていると、『非常時なのに……』といった目で見られているような気がした。
その日の練習には、全員は集まれなかった。皆さんの安否確認。全員、命は無事だった。けれど、家の被害がひどく、出るのが難しい人も多かった。
別の楽団の主催者の家は、全壊に近く、オーケストラの楽譜がほぼ使えなくなった、と聞いた。
私にできることは何か?
ガスや電気が使えなくなっている阪神間の友人にカセットコンロ、電気だけ使える友人には電磁調理器を、近所の電気屋で最後の一台を購入し、送った。
郵便局には、そういう支援物資を送る人がたくさんいた。
いち早く大阪のホテルに避難した友人には、練習に行く前に、京都から持ってきた生活必需品を渡しに行った。いろんなものが、店頭から無くなっていた。
そんな中でも、3日間、合奏団の練習は続いた。








