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除夜の鐘

とうとう除夜の鐘が聞こえてきました。

たくさんのことがあった今年も終わろうとしています。

クリスマスには、生徒さんたちで恒例になったクリスマス会、演奏とゲームと食事で盛り上がりました。皆様お手伝いくださり、本当にありがとうございました!

門真市のジュニアストリングスにも何度もお世話になり、刺激をいただきました。

私自身は、ソロ・ピアノトリオ・カルテットと幅広く演奏の機会をいただき、まだまだ勉強しなくてはと思った年でした。

来年は、朗読との組み合わせやお箏とのコラボレーションもさせていただく予定で、とても楽しみにしております。

大晦日は、ベートーベン第九・クラシックハイライト・ジルベスターカウントダウンコンサートと、見たい番組が目白押しで、毎年忙しいのですが、今年は真央ちゃんのスケートもあり、チャンネルを変えるのに大忙し(^^)

久しぶりに、大学生のときに歌った第九の合唱のアルトを、テレビの前で歌ってみました。演奏は何度もしましたが、合唱は久々。アルトは音が飛んでいて、なかなか難しかったです。

では皆様、良い年をお迎えくださいませ。

9月の休日

奈良の演奏会の翌日から、台風の影響で雨が続き、やっと台風一過となった月曜、淡路島に渡りました。

 明石海峡大橋は舞子のほうから何度も眺めていましたが、通るのは初めて!本当に長い‼️

まずは、日本発祥の地と言われる「絵島」淡路島に入ってすぐのところにある、なんとも不思議な地形。

イザナギとイザナミがこの地を作り出したのが日本の始まり、と古事記に載っている、神秘の場所。

2000万年前の砂岩の上を歩き、地球の不思議を感じました。
  

その後、伊弉諾神宮にお詣りし、玉ねぎつけ麺をいただく。

なんと、大きな玉ねぎを揚げたものが丸ごと、つけ汁に入っている。

人気があるらしく、30分以上待って頂きました。

なるほど、香りだけで満足しそうなほど美味しい。

  

翌日は、鳴門の渦潮を観に行く。

淡路島側からも鳴門側からも、観潮船は出ているのだが、今回は鳴門に渡り、ガラス張りの船内から渦を見ることもできるアクアエディに乗る。

せまく暗い船内で、隣の人とひっついて座り、天井にはキラキラと星が光り、まるで遊園地のアトラクションのようなシチュエーションで、船は出発。やがて高速で過ぎてゆく泡だけが見える中、緩めのジェットコースターのような揺れが。台風の直後でなければ、もっと透き通った海中が見えるのかもしれないと思いつつ、揺れに身を任せ…

やがて、渦のピンポイントに到達すると、デッキに出て良いとの指示が。そして観たものは…

  

海と青空と美味しい空気、そして淡路島の食べ物を堪能した旅でした。

犬吠埼の休日

発表会終えて、久しぶりの連休。

以前から一度行ってみたかった、親戚の住む千葉県へ飛びました。

あ、飛んでません。新幹線と、特急しおさいで走りました。

東京から一時間半。ゆったりとしおさいに揺られ、着いた街は、高い建物は無く、畑や田んぼも拡がるちょうど良いのどかさ。

お天気は最高で、遠浅の海に踊る太平洋の白波を眺めて、浜辺で何もしない半日を過ごしました。

  

でも、違うところに目を移すと、サスペンスドラマの舞台になりそうな岩場には、東日本大震災の爪痕が…

海辺の岩に沿って歩けるようになっていた歩道は、津波にさらわれ、一部しか残っていない。

  

犬吠埼の灯台には、さすがに連休、長蛇の列ができていたので、眺めただけ。

  

とっても贅沢な時間を過ごすことができました。

3月11日に寄せて

あれから6年。

まだ6年か、と思う。それほど日常に追われ、長い時間が経ったように思う。

あの日私は、今は無くなったホテル日航茨木でのロビーコンサート最終日のお手伝いに、車で向かっていた。

その途中で地震が起こった。携帯に速報が来て、ホテルに着いて皆さんに知らせるが、皆は準備に忙しく、殆ど取り合ってもらえない。

コンサート本番を横で見守りながらも、携帯に次々に来る揺れの速報に気が気ではなかった。

終わって車で帰りながら見たテレビ画面に唖然とした。

それから、東京に住む友人、千葉に住む親戚に連絡をするが、なかなか繋がらない。

ようやく連絡がついた友人は、東京都内のホールで本番中に揺れて、帰宅難民になっていた。

千葉の親戚に連絡がついたのは翌日。岸壁で釣りをしていて、ヤバいと思って逃げ帰ったそう。その後その岸壁には津波が押し寄せた。

毎日毎日、心を揺さぶられるニュースばかりだった。

枕元に、防災グッズを用意していた。

ところが、一年経ち二年経ち、だんだんと平穏な日常に、地震のことを忘れている自分がいる。いえ、決して忘れているわけではない。

ただ、今ここで起こる、とは思っていないのだ。それが一番怖いのかもしれない。

常にシュミレーションをしておくことが、一番の防災なのではないかと思う。

Valentine’s day

この頃は、彼氏にあげるより、女友達と楽しんだり、自分へのご褒美に、チョコレートを買うほうが多いようですね。

私も、チョコレート大好きなので、この時期はワクワクします。

そんな中、なかなか手に入らないチョコレートをご紹介!

ひとつは、小学生の生徒さんMちゃんから頂いた手作りチョコ💗

  
ひとつずつ可愛いデコレーションに、バックのパッケージも音楽で、とってもハッピーになりました。Mちゃんありがとう!

  
もう一つは、たまたまデパートの店頭で見つけた、ピーターラビットのチョコ。中身はピーターラビットが3匹とお花でした。入れ物の缶が使える!と即買い。きのうもう一つ欲しいなとデパートへ行きましたが、完売でした!

ホント、チョコレートには魅了されますね。

あけましておめでとうございます

2017年開けました! 今年は年末年始穏やかに晴れて、お正月を迎えるのにふさわしい気候でした。

除夜の鐘が大晦日夜10時ごろから始まり、東急ジルベスターコンサート、今年は「ダッタン人の踊り」でカウントダウン。いつも感動の瞬間を味わうのですが、今年も大友直人さん、見事にぴったりでした。以前、お仕事でご一緒したことがあり、応援にも力が入りました!

除夜の鐘は、12時半頃まで続いていたような…気がします。

そして、元日の夜は、ウィーンフィルニューイヤーコンサート♬指揮者のドウダメルさん、3時間近いプログラムを、全曲暗譜です!                   

バレエも素敵でした!特に客席で踊られたのが素晴らしかったです。手足が客席にあたるのでは…とハラハラしました。

年賀状の整理をしていたら、早くも2日。。

今年も、時間の流れが速いのだろうなぁ。一日いちにち、今を大切に過ごしていきたいと思っています。

  
お庭の水仙。昨年は一輪しか咲かなかったのに、今年はたくさん咲いてくれました。お正月を感じるお花なので、仏前にもテーブルにも飾っています。

鯛めし

話が前後しますが、17日、いつもの仲間といつものお店で、忘年会でした。

お料理はもちろんお酒も美味しいお店で、10月くらいに予約しないととれないという人気店。今回は、がっつりではなく、少しずついろんなものを戴きたい、との注文に応じてくださった大将。

いつもの仲間との会が、まる10年ということを聞いた大将。なんと鯛めしをプレゼントしてくださいました!

その写真が、これ❗️

  
美味しかった〜‼️

昭和の家

この頃、昔の家をリフォームする、とか、解体する家から古材を集めて新しい家に使う、とか、昭和の、またはそれより前の建物に注目が集まっていますね。

私が生まれ育った家も平屋の賃貸でしたが、歴史があったようで、襖と障子に囲まれ、玄関には土間から上がると3畳の畳の部屋があり、台所は土間だったところにスノコを敷いて使っていて、できたお料理は、2段階段を上がってテーブルに持っていくような造りでした。お風呂は、私が生まれる前までは蒔を焼べていたそうですし、御手洗は勿論汲み取り、また、押入れから屋根裏に入れたり、庭の松の木の下には井戸があったり、裏から植木のトンネルを抜けるとお隣につながっていたり、また縁側が家の二方をぐるっと囲っているような家でした。

友達と家の中を走り回っていて、縁側の一枚ガラスの引き戸に思い切り手をつき、割ってしまったことがあります。怪我はしなかったものの、ガラスがすぐには調達できず、新聞紙を貼って何日かしのいだ苦い思い出があります。

障子の張替えや畳の表替えは、よく手伝っていました。というか、畳の下から意外なものが出てくるのが面白くて、邪魔をしていました。また、押入れだったところに食器棚と冷蔵庫を置いたり、ベッドを置いて使ったりしていました。

当然、ご近所の方々は皆さん顔見知りで、鍵っ子だった私のことを気にかけてくれていたようです。窓を開けたままピアノの練習をしていても、文句を言うどころか、窓の外から見ていた近所のおじさんが、「上手になったね〜」と言ってくれるような時代でした。

でも私は、お友達のモダンな家が羨ましかったようで、中学に入ると同時に引っ越した、新築のプレハブの家が嬉しくて仕方なかったのを覚えています。初めて、お部屋にドアがつき、クローゼットもあり、サッシの雨戸も新鮮でした。キッチンには、当時流行した両面ハッチ。キッチンとテーブルを食器棚の両面ハッチで仕切る造りでした。自分の部屋にベランダがあるのも、嬉しかったなぁ。  

それから何回かの引っ越しを経て、7年前、マンションに憧れている私が住むことになったのが、築50年は経っている日本家屋。

真っ白い壁と天井が良かったのに、とか、お庭があっても虫嫌いだし、とか、色々躊躇する理由はあったのですが、色んな事情で年末に引っ越しました。荷物を解きながら迎えた大晦日。すぐ前のお寺から、ゴ〜ン、ゴ〜ン、こんなに近くで除夜の鐘を聴くのは初めてで、それも毎年の楽しみになりました。

ぼろぼろ落ちるのが嫌いだった土壁ですが、吸湿性に優れ、呼吸が心地良いことに初めて気づき、お庭も少しずつ楽しみ、縁側や押入れ、床の間をフルに活用しています。

水回りだけは新品に替えてあったので使い心地よく、うちに来られた方は皆さん、和洋折衷のレトロ感に居心地が良いと言ってくださいます。寒いのは仕方ないですが、本間サイズの広さと、カビが発生しにくい風通しの良さを満喫しています。

きょうも、近所の木造住宅が取り壊されているのを見ましたが、立派な柱などが見え、ぜひ再利用してほしいなと思いました。

写真は、うちの天井と土壁と、ガラス障子です。

  

オルゴールの森

これ、オルゴールです。

中にヴァイオリンが入っていて、自動演奏になってます。 

富士河口湖畔のオルゴール美術館に行ってきました。

ヨーロッパで作られた数々のオルゴールがあり、オルゴールに合わせての歌も聴くことができました。

右隣にあるのは、タイタニック号に乗るはずだったオルゴールなんですって!

ジュークボックスの走りです。

 

母の日に…

きょうは母の日。私の母は20年以上前に亡くなっているので、白いカーネーションを、と思ったけれど、今はカラフルなカーネーションが出ていて、目に留まったグリーンのカーネーションを用意しました。

  
思えば、ヴァイオリンを始めたのは、母の一言。。。

ピアノを物ごころつかない頃から習っていて、ラジオからはいつもクラシック音楽が流れていたのですが、小学生になった私に、ヴァイオリン習ってみる?と聞いてくれた光景は、今も覚えています。

両親とも音楽には無縁の仕事をしていましたが、コンサートにはよく連れて行ってくれました。

レッスンに一緒に行っていた記憶は殆どないのですが、家での練習は聴いてくれていて、感想を言ってくれたり、先生との連絡は密に取ってくれていたようです。

そのおかげで、ヴァイオリンに打ち込むことができ、この道をずっと歩いてこられました。

20数年前、具合が悪くなった母は、自分の葬儀で、ショーソンのポエムを弾いてほしいと言っていました。

でもその頃、まだ音楽葬は一般的では無く、ごく普通のお葬式になってしまいましたが、今なら、音楽葬で送ってあげられたと思います。

母の日が来ると、母の命日がすぐにやってくるのです。

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